大学の入り口で少し待ってると李さんが現れた。うちの姉のダンナさんで、 うちの姉とは大学院修士の時に出会い、修士課程を出た半年後に結婚した。 当時は修士課程を出るときに、姉から「2週間後に結婚する」と言われて 家族はぶっとんだものだ。結局は半年後に結婚することになったのだが。 李さんはそのまま博士課程に進み、博士号を獲得している。 それでもって、11月から夫婦&赤ちゃん揃って華僑大学に来ている。 働きはじめるのは3月からの予定だ。
その李さんの案内でタクシーで構内に入る。 やっと日本語と中国語が話せる人がパーティーに加わった。1キロ程構内を 進んだところで今日から3泊する大学の宿舎に行き着き、そこでかわさきは半年ぶりに 姉と泰林くんに会った。泰林は1歳と2カ月で、パタパタ歩くようになっていた。 おそらく彼だけが日本から中国に生活の場を移しても不自由を感じていない唯一の 人物だろう。姉はどうやら生活環境の激変にもめげずにがんばっているらしく、 笑顔で我々を迎えてくれた。
その日は大学見物で終わった。この華僑大学はやたらと広くて、 学生から先生のアパート他、必要な食堂やら小・中学校やら、 何から何までが大学の1キロ四方の敷地内にある。ちと信じられない。 イゼルローン要塞みたいなところだ。 姉夫妻のアパートも大学の敷地内にある築1年ちょいの新しい建物の4階にあるが、 そこから見える建物が全て大学の施設だというから驚きである。 しかし、やはり中国である。低品質の極致で姉夫妻は築1年のアパートに 引っ越してきて呆然となったそうだ。新しいとは言えないような状況。 フロは汚くてカビだらけ。床も壁も台所もそれはボロだったらしい。 つまるところ、中国とはそーゆーところで、ほこりの中ですべてのものが作られて、 それが低品質なものだから、そこから作られる建物は建ったときから既に 中古品同然という恐ろしい現実が生まれるわけだ。うーーん。おそろしや。 それでもフロは磨いて、壁と天井は雑ながらもペンキで塗りなおしてもらって、 じゅうたんを買って敷いてやった末にそこそこきれいな住まいができあがった。 日本式に玄関で靴を脱ぐようにしているのは、アパート内ではおそらく 彼らだけだろう。他の家族の部屋も覗いたが、とても靴無しであるけるような ものではなかった。
我々は重い思いをして運んできた「救援物資」を姉らに渡すのだった。 スリッパ、両面テープ、赤ちゃん用クッキー、換気扇カバー、バター、 スーパーのビニール袋、CD他、日用品がほとんどである。中国製の品は作りが雑で、 工業製品はとくにひどいとゆーことで、お願いされていたのだ。
姉夫妻の部屋を見たのと、もう一つ、大学内の来訪者用の宿舎に泊まることで 中国の生活の不便さをかいま見ることができた。 その宿舎は4人が3泊して750元、つまり一人一泊で1000円足らずとなり、 普通の中国のホテルより安い。 大学内の一般のアパートに比べていい設備を持っているが、それでも暖房が 入らなかったり、掛け布団が薄かったり、トイレの構造が悪かったりと大変だった。 とくにおフロが...一定の水を沸かして、それを使うというものだったらしく、 1日目は湯舟一杯にお湯をためようとして、失敗してしまった。 瞬間湯沸かし器じゃないわけよ。でもこの宿舎、蚊帳があったのは驚いた。 そんな感じで泉州での1日目がきれいな夕日と共に暮れていった